こちらの記事からの続きです。
GCU退院直前に、EDチューブを入れることになった息子。
その前に入れていたNGチューブは、胃までつながったチューブなので
「飲まない」への対処にはなるけれども「吐く」ことに関しては無力。
うちの子は飲まない&入れても吐くだったので、
NGチューブでは栄養が全然取れず、体重も増えず、
毎日体重が測れたりずっと医師や看護師がついてる入院中の環境とは違う自宅で
このまま見るのは難しい、という判断でした。
EDチューブは腸まで入れるチューブなので、
そこから入れた分の栄養は確実に取れることになります。
(腸から胃には逆流しないらしいので)
栄養は確実に取れるので安心感はあったものの、
それはそれで退院してからめちゃくちゃ大変でした…
EDチューブで大変だったこと
注入時間が長い
本来は胃を経由して、そこからゆっくり腸へ流れていく食物たち。
なので、腸は大量の食物や水分を受け入れられるようにできていないそうです。
ということで、直接腸に栄養を入れるためには、ゆっくりゆっくり流しいれる必要があります。
そこで、ポンプという、病院で点滴を入れる時に使うのに似た機械で、
ゆっくーりミルクや母乳を流しいれていました。
先生が言うには1時間100ccの速さが限度、ということで、
昼間は1回200ccを二時間かけて注入、
それだと栄養が足りないので、寝てる間も1時間50ccのスピードで9時間くらい持続注入をしてました。
それで大変なのは外出です。
昼間、注入だけで6時間取られます。
その合間を縫って外出しないといけないので、買い物も、用事も、めっちゃ計画的に、
どんなに長くても2時間で帰ってこれるように、調整して行います。
でも、病院に行ったりすると2時間では帰ってこられないので、
その場合そこで取れなかった栄養をどこにねじ込むかで四苦八苦。
1回の注入時間は絶対に減らせないし、
注入と注入の間も空けないとといけない。
もう日々パズルみたいでしたし、
ずーっと栄養のことばっかり考えてて、なんだかせわしなかった記憶があります。
吐いても栄養が取れるのはいいけど、
ほぼ丸一日、栄養のことを考えて終わる、っていう感じでした。
管理が大変
EDチューブはNGチューブと違って、
自分たちでは入れられません。
X線透視下で、医師が、腸まで到達したことを確認しつつ、入れることになります。
そのため、絶対に抜けないようにしないといけない…!
でもですね、、
お風呂に入って、固定テープが濡れれば、はがれやすくなり、抜けてしまうこともあります。
固定テープでかぶれてしまって子供がかきむしり、そのままテープがはがれてぬけたこともあります。
子供が手をひっかけて抜くこともあります。
EDチューブを入れてるときも嘔吐は止まらなかったので、
ひどい嘔吐の時にはチューブが一緒に出てきてしまったこともあります。
とにかく、抜けないようにどんなに注意していても、
抜けてしまうんです。
その度に病院に行って、入れ直してもらわないといけません。
それがないと絶飲食状態になってしまうので、
土日でも関係なく、緊急で受診して、入れてもらいます。
夜間だけはどうしても対応できないので、
翌朝まで待つことになりますが、脱水にならないかな、低血糖にならないかな…とヒヤヒヤ。
とにかくそれがとっても大変だったし、気を使いました。
一日二回抜かれたことも、
病院から帰ってきてすぐに抜かれて、またすぐ受診、ていうこともありました…
被ばくが心配
そんなことを繰り返してると、被ばくが心配になってきました。
1度に浴びる微量とはいえ頻回にX線透視をすることになるので、
普通の人の何倍も放射線を浴びている状態になってしまう。
これがないと栄養が取れないので仕方ないことではあるけれど…
本当に大丈夫なの?と何度も思いました。
先生に聞いてみたけれど、
「今くらいのペース(平均すると月に2回くらい)だったらそこまで心配することでもないです」と言ってくれたので、それを信じるしかなかったですね。
嘔吐は減らないし、心配は尽きない、先が見えない日が続く
栄養は取れる、けれど、それ以外に色々と気を使わないといけないEDチューブの生活は、本当に本当に大変でした。
栄養を取るために毎日が回り、
それを中心にスケジュールを組み、
その合間に家事や搾乳もしなければならず。
退院したての時は普通の赤ちゃんと同じように3時間おきに注入だったのですが、
注入に1時間かかるので合間2時間しかない上、
その間にも搾乳や消毒があったり、ちょうどよく子供が寝てくれなかったりで、毎日寝不足。
しかも嘔吐は減らないし、先生は「座ったり歩いたりできるようになれば少し嘔吐は改善してくると思います」と言うんだけれど、発達も遅いしそんなことができるのは何年先だろう、と気が遠くなりました。
何で吐くの?
このままで大丈夫なの?
いつまでこんな状態なの?
注入に時間がかかり外出もままならない状態だったので気分転換も難しく、
周りに同じような人はいないし、誰にも相談できなくて、
ずっと不安で、ずっと心配でした。
私の育児が一番きつかったのは、間違いなくこの時です。
この生活が1年以上続きました。
転機がきたのは、胃ろうを作ることになってからです。
その話は次の記事に。
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