一人めの子供に病気や障害があった場合、次の子供をどうするか悩む人は、多いのではないかと思う。
今母子通園している児童発達支援センターで知り合ったママ友さんとそんな話題になると、ほとんどみんな同じような想いでいると話してくれる。
だからきっと、障害児の親あるあるなんだろう。
次は健康に生まれてくる保証はどこにもないし、
障害を持った子が立て続けにできる確率はとても低いと思うけれど、
現にとっても低い確率で起こる遺伝子異常で我が子は生まれてきている。
確率がいくつかなんてどうでもよくて、0.0001%でもあれば、それは自分ごとになる可能性がある、ということを身をもって知っているから、次は大丈夫、なんて思えないのだ。
障害があっても、我が子は可愛い。
めちゃくちゃに可愛い。
それはわかってる。
だから次の子もそうだったとしても、生まれたら責任もあるし、育てることは、できるんだろうと思う。
だけど、それはものすごく、大変なことだ。
実際に育てているからこそ、大変さがわかる。
毎日のお世話、リハビリや通院通園の付き添い、さらに医療的ケアがあったりすると、24時間365日の看護が必要だし、福祉サービスだって、受けられるかどうか程度によっても違うし、不安。
一時的なものだったら、頑張れるかもしれない。
けれど、障害児の子育ては、(きっといつか「介護」という名に変わって)一生続く。
一人でも大変なのに、それを同時に二人し続けるのは、相当、かなり、想像以上に、大変なんじゃないかと思う。
だから、どうしても二の足を踏んでしまう。
これは個人的な考えだけれど、
子供を生む、生まない、というのは親のエゴだと思う。
子供のために子供を生みたいと思う人って、どれくらいいるんだろうか。
大体は、子供が可愛い、育てたい、成長したら一緒にこれをしたい、など、親自身の願望や欲求を反映して作るんではないだろうか。
もちろん私だってそう。
そのことを悪いことだとも思ってない。
エゴだからこそ、子育てには、親自身の心身の健康が何よりも大事だと思っている。
自分が整っていないと、自分以外の人を大切にできない。
たとえそれが我が子であっても。
その心身の健康を、障害児病児育児は蝕むことがある。
親が精神疾患になるケースはかなり多いと聞いているし、
そうでなくても体力的に、かなりしんどい。
歩かないまま大きくなっていく子供を、いつまで抱えていられるだろうか。
今だって不安なのに、それが二人になったら?
息子は今、口から十分な食事を摂れない。
経管栄養で、チューブから胃に直接入れている。
そんな特殊な食事方法だから、誰にも預けられない。
病院で指導を受けた親か、医療の資格を持った人でないと、息子に食事をさせられない。
つきっきりで見ているしかない。
そんな状態の子が、もう一人いたら…?
今の生活をベースに考えたら、それは無理だ。
たぶん、親のどちらかが倒れる。
今だって、夫婦どちらかが体調不良になった場合、一瞬で家に緊張が走るのだ。
全部一人でやらないといけない責任感と、
自分は倒れられない、という緊張感。
そんな状態でとても二人は見られない。
と、延々、次の子も障害児になるケースを考えてしまうのだ。
それでも、健常児を育ててみたい、と思ってしまうのも、また本心。
普通の子育てって、どんな風なんだろう。
「ママ」と呼ばれるのって、どんな感じ?
成長を見守って、いつか巣立つ日を見届けてみたい…
これももちろん、私のエゴだ。
エゴに付き合わされる子供は、迷惑だろうか。
家族に障害者がいる家庭に、子供は生まれてきたくないだろうか。
エゴと、自分の体力や精神力と、子供の人生と。
ぐるぐると考えて、答えが出ない。
私は今年39歳。
もう、限界も近い。
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